スウェーデンボルグの神学著作から抜粋

◆(1)神は唯一であり、その唯一神に神的な三一性が内在する。主なる神にして救済主たるイエス・キリストこそ、この唯一神である。
(2)救いの信仰とは、イエス・キリストを信ずることである。
(3)悪は悪魔のものであり悪魔から来るので、行なってはならない。
(4)善は神のものであり神から来るので、行なわなくてはならない。
(5)善は人問によって、人間自身によるものとして行なわれなければならない。それでも、善は主よって人問の内で、かつ人間をとおして行なわれるということを信じなければならない。 (『真のキリスト教』3番)

◆神は人類を存在させ、そこから天界を造るというそれだけの目的から宇宙を創造された。人類こそ天界の苗床である。(『宇宙の諸天体』3番)


『天界の秘儀』ラテン語表紙

◆宇宙には多くの居住可能な天体が存在し、そこに人類は住んでいる。…人類は一つの天体出身者からだけではなく、無数の天体出身者から成つている。(『宇宙の諸天体』2番)

 ◆天界は、初めに創造されたどんな天使からも成り立たず、地獄もまた、どんな悪魔とその一味からも成り立たっていない。すべては、この世に人間として生まれてきた者たちから成り立っている。 (『神の愛と知恵』21番)

 ◆死は絶減でなく生の連続であり、一つの状態から別の状態への移行にすぎない。(『天界と地獄』461番)

 ◆天界は…、一つの宗教を信じている人びとからではなく、多くの宗教を信じている人びとから成り立っている。(『神の摂理』)

 ◆天界にいる者は,誰でも絶えず人生の春に向かって進んでいる。それゆえ、天界に住めば住むほど彼らが得られる青春は、ますます楽しく幸多いものとなる。そしてこの状態は、愛、仁愛、信仰などの進歩の度合いに応じて永遠に増進する。(『天界と地獄』414番)

 ◆人間は、自己愛の度に比例して天界から遠ざかる。

 ◆人間は、自らが置かれている社会や隣人に有用な存在となるために生まれている。知ること、理解すること、賢くなること、意志することなどのすべては、有用となることがそれらの目的とされなければならない。

 ◆仁愛とは,各自が従事する務めや仕事や職業において、正当かつ忠実に行動することである。なぜなら、こうしたことのすべては社会に役立ち、その役立ちこそが善だからである。(『真のキリスト教』422番)


 ◆神は生命そのものであり、愛そのものである。天使や人間は、その生命を受ける器である。(『神の愛と知恵』)

 ◆神の生命は、善人にだけでなく悪人にさえも充ちている。異なっている点は、悪人は途を塞ぎ、戸を閉じて、神が彼の心の低い部分に入れないようにしていることである。

 ◆神は誰をもけっして強制しない。秩序の法則に従って導かれようとしない者が救われないのは、神の全能性と関係がない。

 ◆神の摂理は、つかの間に過ぎて行く一時的なものを目標としていない。それは、永遠のものを目標としている。(『神の摂理』)

 ◆心がこもらない口先だけの祈りがどんな益をもたらすであろうか。祈りは口からではなく、心から発せられるべきである。愛と信仰とを持って、心から祈らない者のどのようなことも、神は配慮なさらない。

   ◆人間は、愛に基づき愛に従って考える。愛は人間の生命であり、理解力は愛から生じる人間の生命の発出物である。

 ◆愛の本質は、自分を愛するのではなく他者を愛すること、そしてその愛をとおして他者と結びつくことである。(『神の愛と知恵』47番)

 ◆結婚愛の本質は、二人が一つになりたいと意志すること以外のなにものでもない。…この意志は、結婚愛という愛が持つ永遠の推進カである。(『結婚愛』215番)

 ◆結婚愛には、創造主なる神が人間に与え得る限りの、あらゆる至福・満足・歓喜・楽しさ・快楽が集約されている。(『結婚愛』68番−2)


最後の審判(自筆スケッチ)

自筆「主の再臨なり」

 ◆愛だけでは善い行ないがでてこないが、信仰のみではなおさらで、愛と信仰の両方が必要である。(『真のキリスト教』377番)

 ◆人間は、自己と世間を愛し、…天界との絆を断ち切ってしまった。そこで神は、天界の土台、基礎となり、天界と人間とをつなぐ橋渡しになるものを考えた。それが、聖言である。

 ◆人間が信仰を受け入れるとは、神に近づいて、聖言から真理を学び、その真理にしたがって生活することである。

 ◆宗教はすべて生命に関係し、宗教の生命は善を行なうことにある。(『生命』1番)

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