イサム・ノグチとスウェーデンボルグ

 

さて、ノグチへのスウェーデンボルグの影響についてですが、それは狭い意味での宗教的なものではありません。まず言えることは、おそらくスウェーデンボルグの「相応」の考え方に対する基本的な共感があったということです。ノグチは神話への、あるいはアルカイックなものへの愛好についてしばしば語っています。「実のところ、古ければ古いほど、アルカイックでプリミティブであればあるほど好きだ。なぜか分からないが、たぶんそれはただ、芸術を繰り返し蒸留すれば原初的なものに立ち返るからなのかもしれない」。神話やプリミティブなものは彼に芸術的インスピレーションを与え続けました。ちなみに彼はエリアーデの熱心な読者でもありました。ノグチはまた、エマソンにも親しんでおり、とりわけ『自然論』は彼の魂に直接語りかけるものだったといます。次のようなことばはエマソンそっくりです。「目に見える世界は、人間的見地からは科学的真理より以上のものである。それは私たちの意識のなかへ知識としてはもちろん、感情として入り込む。樹木は力強く成長し、花ははかなくも咲き誇り、そして山々は眠たげに横たわるというぐあいにすべては意味を持っている」。言うまでもなく、エマソンの『自然論』の基本的アイデアは、スウェーデンボルグの「相応」そのものです。

 次にノグチの宇宙論もスウェーデンボルグと共通しています。彼の作品は抽象的で、容易に理解しがたいものも多く、奇抜なアイデアもたくさん試みられていますが、いずれの作品にも美しい気品があるのが特徴です。耳目を驚かす作品をウリにする多くの前衛芸術家と一線を画すところです。そのような美しさの背後にあるのが、世界は秩序づけられ統一された宇宙であるという彼の世界観です。これもスウェーデンボルグに通じるところがあります。

(写真左)
イサム・ノグチが依頼により作成した「広島平和公園」をはさむ橋の欄干の一つ(作品名=つくる)。  しかし、イサム・ノグチが申し出た原爆慰霊碑の作成は、彼が「アメリカ人」であるという理由で突如 拒否された。彼のその落胆ぶりは相当に大きかったようだ。  イサム・ノグチは「私の創作に対する情熱の根底にあるものは、“役に立つ”ということだと思います」 と語っていたと言われている。
(写真、文 山本康彦)

しかし、ノグチ自身はスウェーデンボルグとの関連について、次のようにさらりと書いているにすぎません。

「十五歳のとき、私は突然インターラーケンの創立者エドワード・A・ラムレー博士に見出された。彼は私が同校にいたことを聞き、荒れた生活から私を救い出す責任を感じたのであった。彼はインディアナ州のラポートにある自宅へ私を連れてゆき、そしてサミュエル・マック博士の家に私を下宿させた。マック博士はかつてミシガン州アン・アーバーにおいて、同種療法の教授をしていたが、その後エマヌエル・スヴェーデンボリの教えを奉じるニュー・チャーチの牧師になっていた。当家の世話になって、私はその後3年間を過ごし、かつ高等学校を何とか終えることができた・・・」。

アシュトンはこれを重視して次のように書いています。

「(ラムリー)博士はノグチをスウェーデンボルグ派の聖職者であるサミュエル・マック博士の家に寄宿させた。少年ノグチが否応なしにおかれたこの環境は、ブレイク、エマソン、ポー、ボードレールといった人物たちを通じてモダニズム運動の形成に力を貸したスウェーデンボルグのさまざまな思想が神聖視されているような環境で・った。押韻的な宇宙体系というスウェーデンボルグの思想は、宇宙にある種の基本的統一性を見出そうとした十九世紀の芸術家たちをひきつけた。彼らはアナロジーの無限の可能性を享受したので・る」。

「彼(マック博士)の感化によってノグチはエマヌエル・スウェーデンボルグの思想を学び、彼を通じてウィリアム・ブレイクを発見した。神話に対する終生変わることのない関心は、ノグチがスウェーデンボルグの教えにふれることによって命を吹き込まれた」。

スウェーデンボルグの間接的影響力を無視できないということでしょうか。

ところで、スウェーデンボルグに親しむ環境は父ヨネ・ノグチによっても形成されていたように思われます。前述のとおり、ヨネは英米文学者であり、イエーツやエドウィン・マーカムなどスウェーデンボルグを読んでいた詩人たちと親しく交流しています。ノグチがスウェーデンボルグに自然に接する環境があったのです。

 ノグチ自身は、スウェーデンボルグに言及することはほとんどありませんでしたが、アシュトンが指摘するように、その直接的、間接的な影響は甚大であったと言えるのではないかと思います。直接姿を見せることは少ないけれども、しばしば偉大な芸術家の背後に見え隠れするのがスウェーデンボルグであると再認識させられます。

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『JSA会報』8号に掲載された「イサム・ノグチ」(大賀睦夫)より一部転載

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